マラソンと馴れ初め

マラソンと馴れ初め
施術と全く関係ない話です。
興味ない人は退出して下さい。

「院長のページ」にも書きましたが20歳~32歳までにフルマラソン42.195kmを22回走りました。
初マラソンは20歳の時、1986年12月にホノルルマラソンを完走。
4年4ヶ月後の1991年4月に世界最古の市民マラソン・アメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストンマラソンを完走。

↓マラソン完走者だけがもらえるメダルです。

1897年から続くボストンマラソン。
↑この年1991年は第95回大会でした。
マラソンも素晴らしく楽しかったですが、それよりも特に気に入ったのがボストン市内の赤レンガと石畳の街並み。

風情のある古風な街並みに魅了され気持ちは5年後の100回記念大会に絶対戻って来ようと決意しました。
当時私は愛知県大府市のトヨタ系列の会社に勤務しており、地元の走友会「大府ランナーズ」に所属していました。大府ランナーズにはトヨタ系列、住友系列など色々な会社・職業の方が交流を深めランニングを楽しんでいました。
(ごめんなさい。↓大府ランナーズの写真、結婚してからのしか残ってませんでした。)

95回大会のボストンマラソンを走ってから約1年後、当時私が休日によくやっていた練習は朝、大府ランナーズの仲間と15km走って喫茶店でモーニングを食べた後おにぎりと飲み物をリュックに入れて里山へ出掛けて走り回るマラニック(マラソンとピクニックを合わせたトレーニング)をしていました。
その練習を大府ランナーズの仲間にも呼びかけ、猿投山(さなげやま)マラニックを計画しました。その時に三菱系列の会社に勤めている大府ランナーズの会友さんが、自分の会社でマラソンをやってる若い女性を2人つれてきてくれて、大府ランナーズの仲間5人と女性2人の合計7人で猿投山マラニックを実施しました。
(猿投山↓)

瀬戸市白坂町の雲興寺(うんこうじ)を出発して猿投山の山頂(標高629m)まで走ったり歩いたり休憩したりして無事に7人とも登って降りてくることができました。
その時の女性の一人が4年後に妻になってくれました。
↓下山した後の雲興寺の本堂前
真ん中の青いジャージが私↓
その横の女性が4年後に妻になってくれました。

彼女とは趣味がマラソンという共通点以外にも初マラソンがホノルルマラソンだったこと、出身校が愛知県尾張地区(私が小牧市、彼女が一宮市)だったこともあり話しやすかったです。
彼女にボストンマラソンの話をすると
「楽しそう、私も行きたい!」と返してくれたので、この言葉で二人の距離が縮まり4年後のボストンマラソン100回記念大会を新婚旅行にしようと決めました。
ボストンマラソンはホノルルマラソンと違って参加するためには公式のマラソン大会で標準記録をクリアしなければならないので彼女と付き合った4年間は普通の若いカップルのようなデートは殆どせず、一緒にいる時間の90%はマラソンの練習か市民マラソンのレースに出場していました。
(↓ボストンマラソン参加資格の標準記録です。)


付き合ってた期間を
少し整理すると会社は
私→大府市にあるトヨタ系
彼女→枇杷島町(現在の清須市)にある三菱系
当時の住所
私→大府市
彼女→一宮市
会社も住んでた所も名古屋市の北と南で離れていたので平日は合うことはなく、日曜日に朝の大府ランナーズの練習で15km走ってから、二人でマラニックをして走る体力を付けていました。
彼女とレースに出場した時の
↓トロフィー・楯・メダルです。





あっという間の4年間でした。
別れそうな喧嘩も何回かしましたが、1996年3月30日に結婚。4月に新婚旅行でボストンマラソン100回記念大会を二人で完走。
スタート前↓、前日に雪が降ったため、当日朝は寒くスタート直前まで防寒用のビニールをかぶってました。

この大会は35,868人が完走し、当時としては世界最多の完走者数記録となったそうです。
(現在はロンドンマラソン56,640人が最高)

100回記念大会の完走メダル↓

↑良い記念になりました。
このページに写ってるトロフィー・楯・メダルは殆どが私の物で妻の物はもっと沢山あったのですが結婚して子供ができてから処分したそうです。価値観の違いで私はなかなか捨てられないです。

ここまで読んで下さった方、施術と関係ない話を付き合ってくれてありがとうございました。
注:(院長は改名してるのでマラソンを走っていた頃は旧姓でしたので大会の完走者を調べても現在の名前「奥田博詞」では出てきません。)
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